風速60m/秒、時速では216kmというF1レーシングカーなみのブリザードが吹き荒れる南極。金属を手でつかめばたちまち凍りつく-45℃という環境で、安全を確保し、快適な住空間をつくるために、南極昭和基地の建物の多くは、ミサワホームが生産した木質パネルを採用しています。その規模は、1968年度の第10次南極越冬隊・第10居住棟以来、あすか基地観測棟、衛星受信棟、食堂・厨房・娯楽室・医務室などを設けた3階建の管理棟、第1・第2居住棟、2010年度の自然エネルギー棟など、延べ約5,500m²(1,663坪)にもなりました。南極の厳しい気候に長年さらされ続けた第10居住棟は30年後に日本に持ち帰り調査をした結果、高耐風、高断熱、高気密などの高い性能は建築時のまま維持されていたことがわかりました。
南極では現在、18カ国が計44ヶ所に基地をつくり、観測をしています。日本は、1957年に昭和基地を開設して以来、2003年末には第45次南極地域観測隊が南極入りし、活動を続けています。ミサワホームは、この観測隊の活動や生活を支える建物をお手伝いしており、これまでに建設した建物は、延べ約5,500m²、35棟に及びます。
※平成22年現在。
吹雪に遭えば、建物はすぐさま雪に埋もれてしまうという過酷な自然環境の中で、隊員の安全と安心を確保しなければなりません。当初、建物の設計条件は、風速60m/秒に耐え、素人隊員たちだけで建てられる建物とされました。日本建築学会が総力をあげて設計に取り組み、一年余りの格闘のすえ、木質パネルそのものを構造体とし、コネクターという特殊な金属によって結合する「パネル式越冬小屋」を完成させました。
1957年に建設されたこの南極昭和基地初の建物こそ、当時日本にもなかったプレハブ住宅の第1号です。その後、多くの建物に使用されるミサワホームの木質パネルの生産をテクノエフアンドシーがお手伝いしてきました。日本のプレハブ住宅、つまり工業化住宅の発展は、南極から始まったといっても過言ではありません。